白倉邑について
白倉邑(しらくらむら)の山田氏
- 大類氏の祖、行義は「白倉の山田氏」山田重澄の四女を娶った。
- もともとこの山田氏は、清和源氏流であり、満政(みつまさ)七世の孫重直(しげなお)が尾張国山田郡山田庄に移り住み、地名を冒して山田氏を称したのが始まりである。重直の孫は4人で、その長が太郎重澄である。
- この重澄が頼朝より、上野国甘楽郡白倉邑に地頭職を沙汰され、この地に来住したのである。『吾妻鏡(東鑑)』にも
「寿永元年(1182)3月5日 乙亥 山田太郎重澄(やまだたろう しげすみ)、日来朝夕祗候(しこう)し、殊に慇懃の忠を竭(つく)す。仍(よ)って今日一村の地頭職を賜ふ」
とある。
- 同書によれば、山田重澄は寿永3年(1184)一ノ谷の戦いで、源義経に従っており、このとき大類行義の父である秩父行綱は、源範頼に従っている。
- 行義の宅は重澄の四女であるが、二女が児玉党秩父氏流の三郎成季の室になり、その成季が当初山田氏を嗣いだのである。しかし、そののち成季は居住地名の白倉を冠して白倉氏を名乗り、子孫が坂東にその名を轟かせた。
- 以下に山田太郎重澄の系を示す。
清和天皇(850-881)せいわてんのう ┃ 貞純親王(873-916)さだずみしんのう ┃ 【源】経基(?-961)みなもとの つねもと ┃ 満政 みなもとの みつまさ ┃ 忠重(?-1033)みなもとの ただしげ ┃ 定宗 みなもとの さだむね ┃ 重宗 みなもとの しげむね ┃ 重実(八島重実)みなもとの しげざね ┃ 重遠(浦野四郎)みなもとの しげとお ┃ ┃┏重直(尾張国山田郡に住し、山田氏を名乗る。尾張山田氏の祖)━┓ ┗┫ ┃ ┗重弘(山田六郎) ┃ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┏重澄(山田太郎、養和2年(1182)壬寅3月5日、 ━━━━━━━━━┓ ┃┃ 上野国甘楽郡白倉邑の地頭職に補され、 ┃ ┃┃ 文治元年(1185)に同村に来住す。白倉山田氏の祖) ┃ ┃┃ ┃ ┃┣重義(泉太郎、墨俣川の戦いで死す) ┃ ┗┫ ┃ ┣重忠━━━━━━━━重継(孫次郎、承久の乱で死す)━┓ ┃ ┃(山田次郎、承久の乱で死す。年56) ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗重明(山田三郎、承久3年(1221)承久の乱で負傷) ┃ ┃ ┃ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃┏兼継(又太郎、越後へ配流) ┏重泰(山田) ┃ ┃┃ ┃ ┃ ┗╋重親(彦坂)━━━━━━━━╋泰親(山田三郎) ┃ ┃ ┃ ┃ ┗蓮仁(僧)━━安養 ┗親氏(山田) ┃ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┏重隆(次郎、建暦3年(1213)和田合戦で死す。それより前、美濃に移さる) ┃┃ ┃┣女子(新屋行村の室) ┃┃ ┃┃ 秩父三郎成季(三郎、児玉党秩父氏より重澄二女の婿となり、 ┃┃ ‖ 重隆の戦死後に家督を継ぎ、山田氏の総領家となる。 ┃┃ ‖ 承久の乱、宇治川にて討死す) ┃┃ ‖ ┃┃ ‖ ┏成氏(三左衛門、白倉の地に城を築く) ┗┫ ‖ ┃ ┃ ‖━╋信季(長州の萩に移封さる) ┃ ‖ ┃ ┃ ‖ ┗成家 ┃ ‖ ┣━女子(秩父三郎成季の室) ┃ ┣女子(片山余二郎行時の室) ┃ ┣女子(大類五郎左衛門尉の室) ┃ ┣通重(山田四郎) ┃ ┗重頼(山田五郎、承久の乱で死す)
『山田氏系譜』
『大類村史』
『大類村史』
白倉邑の大類氏
- 白倉の地には、現在も大類氏が数家存するが、この大類氏は、寛永(1624-43)の頃に移り住んだ大類重右衛門閑斎(おおるい しげえもん かんさい)(慶安2年(1649)没)の末裔である。この一族が使用している紋は『三葉蔓柏(蔓柏)』と『丸に剣漿草(丸に剣片喰)』である。
- 大類重兵衛閑斎が何れより来住したのかは定かではない。ただ、児玉党の大類行義の家紋は『軍配団扇内に桐竹鳳凰』であり、大類閑斎の家紋とは異なっている。
『大類村史』
- 以下に白倉村大類氏の系を示す。
重右衛門(寛永2年(1625)6月26日没) ┃ 重右衛門(隠居号閑斎、慶安2年(1649)11月9日没) ┃ ┃┏久兵衛(萬治3年(1660)3月9日没) ━━━━━━━━━━┓ ┃┃ ┃ ┃┣ 徳右衛門(寛文5年(1665)4月22日没、東天神に分家す) ┃ ┗┫ ┃ ┣久右衛門(寛文10年(1670)正月18日没、新田の分家) ┃ ┃ ┃ ┗女子(貞享3年(1686)7月15日没、 ┃ 新屋系山田氏宗家、山田平右衛門重光の妻) ┃ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 久兵衛(元禄4年(1691)7月7日没) ┃ 久兵衛(宝永7年(1710)12月13日没) ┃ 忠兵衛(享保9年(1724)7月2日没) ┃ 重右衛門(寛延4年(1751)11月8日没) ┃ 松五郎(寛政元年(1789)6月11日没) ┃ 重右衛門(文政9年(1826)8月7日没) ┃ 重右衛門 ┃ 久兵衛(明治11年(1878)8月7日没) ┃ 由太郎(明治8年(1875)5月5日没) ┃ みき ∥ ∥━満重 ∥ ∥ ∥ モン(昭和9年(1934)4月8日没) ∥ 品吉(大正12年(1923)12月15日没)
『山田氏系譜』(傍系略)