平姓大類氏
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- これまでの大類五郎左衛門尉行義(おおるいごろう さえもんのじょう ゆきよし)の流れを、児玉党とはぜずに桓武平氏高望王(たかもちおう)流とする説があり、その系が良文(よしふみ)以降、以下のように伝えられている。家紋は『丸に笹』『丸に竜胆』を正紋、『傘紋』『九曜紋』を替紋とした。
- 『平姓大類系譜』によれば、秩父五郎行重(ちちぶごろう ゆきしげ)は、桓武平氏秩父重綱(ちちぶ しげつな)の養子となったことによって平姓を称したとされている。また、行重の兄には、川越次郎重隆、高山三郎重遠、江戸四郎重継らがいる。
『大類一族』
- この系には行光の後裔も出ている。秩父五郎行重から始まっているその系譜は、次の通りである。
桓武平氏良文流〜秩父氏
桓武天皇(737-876)かんむてんのう ┃ 葛原親王(786-853)かずらわらしんのう ┃ (高見王 たかみおう) ┃ 【平】高望王(839?-911?, 850?-917?)たかもちおう、たいらの たかもち ┃ 良文(886-953)たいらの よしふみ ┃ 忠頼(930-1019)たいらの ただより ┃ 【秩父】将恒(将常)(1007-1057)たいらの まさつね、ちちぶ まさつね ┃ 武基 ちちぶ たけもと ┃ 武綱 ちちぶ たけつな ┃ 重綱 ちちぶ しげつな ‖ 行重 ちちぶ ゆきしげ
『桓武平氏系図体系』
秩父氏〜大類氏
行重(秩父五郎、また児玉五郎と号す、秩父重綱の養子) ┃ 行弘(太郎、『七黨系圖』平武者) ┃ 行綱(秩父次郎、四郎左衛門、『七黨系圖』武者三郎) ┃ 【大類】行義(五郎左衛門尉、大類氏祖) ┃ ┃┏季行(太郎)━━国行 ┗┫ ┗行定(次郎、『七黨系圖』二郎左衛門尉)━┓ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┏行長(太郎)━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃┃ ┃ ┗╋有行━━行泰 ┃ ┃ ┃ ┗行盛 ┃ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 行光(大類太夫、『七黨系圖』弾正) ┃ 行貞(大類四郎二郎、幼名は次郎丸、西山郷) ┃ 行正(小太郎) | [7代略] | 貞正(号穐屋、大類妹穐屋氏祖、享保年中(1716-35)に卒す) ┃(桓武平氏27代) ┃ 定門(宝暦9年(1759)に卒す) ┃ 盛白 ┃ 了道 ┃ 久助(法名は目泊) ┃ 喜十郎(大類嘉十郎とも、法名は浄向) ┃ 吉十郎 ┃ 喜左衛門(皆吉とも、天保6年(1835)5月10日生 ┃ 湯平村共有地を修す) ┃ 亀吉(村議) ┃ 喜太郎(栗山村16代村長、「かめや平家の庄(注)」元社長) ┃ 長行(桓武平氏37代) ┃ 勇人(桓武平氏38代、現:桓武平氏ゆかりの宿 揚羽~AGEHA~ 社長)