ようこそ、武蔵七党の一つ児玉党一族の大類氏についてのページです。

群馬県吉井町

群馬県多野郡吉井町

高の砦(たかのとりで)

  • 高崎市吉井町高(よしいまち たか)(旧多野郡吉井町)に残る城砦も大類屋敷跡とされる。ただし、他の文献の記載にはなく、地元でも詳細は不明である。
    『群馬県地名大辞典』
  • 吉井町高の字北原台地の北端に砦址と言い伝えられている所がある。高104番地の、もと稲荷神社のあった所は、周囲より1.5〜3m高く、方25m程の広さがあるが、そこから南に40mつづく旧参道から西の部分が砦の地域であろう。東西、南北とも約100m。東部と、かつて金比羅祠のあった東北角とは3mほど低い。
  • 東北部に長さ20m,高さ3mの土居が残っているほか見るべき工事跡はない。
  • 多湖の城と呼応して大沢川河谷口を守る砦であったことであろう。
    『群馬県古城塁址の研究 補遺編』

  • 高の砦は、大沢川の西丘陵上の最北端に位置し、北は鏑川の下位段丘の10km四方を見渡せる眺望地にあり、大沢川の東の対岸の丘陵上には多胡城山があり、西は折茂の砦が並んでいる。また南800mには植松城があり、1000mには稲荷山頂がある。
  • 高の砦で遺構として残っているのは、稲荷祠跡と言われている高台で、東西15m、南北15m、高さ1.5〜3mの大きさである。「のろし台」として使用したと思われる。この高台は昭和20年当時、高さ3〜5mと今よりだいぶ高く、南面に鳥居があり、その上には石殿があった。
  • また、「のろし台」の東50mのところに長さ25m,高さ3mの土居が残っている。この土居も昭和20年頃までは「のろし台」の近くまであったと言われている。いま残っている土居の東側にも土居があって、東の崖端まで延びていた。水の手として、大類正吉氏宅の北西隅に湧き水があるが、日照りが続くと水がなくなるという。
    『中世吉井の城館跡』




画像の説明

『群馬県古城塁址の研究 補遺編』より、クリックで拡大


前へ   次へ

powered by HAIK 7.0.5
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional