児玉党有道姓大類氏の出自
- 児玉党は平安時代の後期に現れた氏族で、平安時代末期から鎌倉時代にかけて武蔵国で割拠した武士団(武蔵七党)の一つである。その出自には諸説あるが、ここでは、上古より当地にあり常陸の久自国造(くじのくにのみやつこ)であったという、有道宿禰(ありみちのすくね)の後裔という説をとる。
『大類一族』
- 天長10年(833)2月に、饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖(物部氏と同祖)とする常陸国筑波郡人の丈部(はせつかべ)長道、氏道、継道、福道の四名が有道宿禰の姓を賜っている。
- ただし、氏道(うじみち)の祖が代々、膳大伴部(かしわでのおおともべ)として奉仕したことから、丈部は大部の誤りで、オオトモと訓むのが正しいという説もある。
『続日本後紀』
『古代氏族系譜集成』
- 児玉氏の祖・遠峯(一に維行あるいは伊行)は、帥内大臣(すいないだいじん)伊周公の子であり、武州に下向し当初有道氏を名乗っていたとする。
- これは仮冒であって、藤原北家流・藤原伊周(ふじわらの これちか)の家令(けりょう/かれい)であった有道維能(ありみち これよし)は、長徳2年(996)に伊周が失脚したことにより武蔵国児玉郡に下向した。その子の維行が有道遠峯維行(ありみち こだま これゆき)と名乗り、児玉党の祖となったという。
後に児玉惟行(こだま これゆき)と呼ばれる。延久元年(1069)没。『武藏七黨系圖』
『古代氏族系譜集成』
- 藤原伊周(天延2年(974)〜寛弘7年(1010))
平安中期の公卿。摂政関白内大臣藤原道隆の嫡男(三男) 。定子の兄。内大臣。関白を争い叔父、藤原道長との政争に敗れる。
- 以下に上古より大類左衛門尉行義までの系譜を示す。
上古〜有道氏〜児玉氏〜秩父氏〜大類氏
┏長髄彦 ながすねひこ ┃ ┗三炊屋媛 みかしきやひめ ┣━━━━━━━━━━━━┓ 饒速日命 にぎはやひのみこと ┃ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ 宇麻志麻遅命 うましまじのみこと(物部氏祖) ┃ 彦湯支命 ひこゆきのみこと ┃ 出石心大臣命 いずしこころのおおみのみこと ┃ 大矢口宿禰命 おおやぐちのすくねのみこと ┃ 大綜杵命 おおへそきのみこと ┃ 伊香色雄命 いかがしこおのみこと ┃ 大咩布命(大売布命) おおめふのみこと ┃ [大部造]豊日連 [おほとものみやつこ]とよひのむらじ ┃ 船瀬足尼〔久自国造〕ふなせのすくね〔くじのくにのみやつこ〕 ┃ 由岐古 ゆきこ ┃ 押目 おしめ ┃ 石敷 いわしき ┃ 赤利古 あかりこ ┃ 阿佐古 あさこ ┃ 金古 かねこ ┃ 眞塩古 ましおこ ┃ 磐麿 いわまろ ┃ 久比 くび ┃ 小牧麻呂 こまきまろ ┃ 稲足 いなたり ┃ 繼守 つぐもり ┃ 【有道】氏道 ありみち うじみち ┃ 雄繼 おつぐ ┃ 氏繼 うじつぐ ┃ 維材(惟材) これもと ┃ 維廣(惟廣) これひろ ┃ 維能(惟能) これよし ┃ 有道遠峯維行(兒玉惟行) ありみち こだま これゆき (こだま これゆき) ┃ 經行 つねゆき ┃ 【秩父】行重 ちちぶ ゆきしげ ┃ 行弘 ゆきひろ ┃ 行綱 ゆきつな ┃ 【大類】行義 おおるい ゆきよし
『古代氏族系譜集成』『日本の苗字七千傑』他(異説あり)
児玉党
┏家弘(庄氏へ) ┃ ┏家行━╋【塩谷】家遠 ┃ ┃ ┃ ┗【富田】近家 ┃ ┃ ┏【入西】高行 ┃ ┃ ┏弘行━╋資行━╋【浅羽】行業 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣【小代】遠広 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣【越生】有行 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗【真下】基行 ┃ ┃ ┃ ┗【真下】基直 ┏行家(安芸児玉氏へ) ┃ ┃ ┃ ┏時行━╋【吉島】行遠 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣【富野】行義 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣【吉島】行保 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗【竹沢】行高 ┃ ┃ 【児玉】遠峯━━━━╋【平児玉】経行━━━━╋行重(秩父重綱の養子となる) (惟行/維行)┃ ┃ ┣貞行(安芸児玉氏へ) ┣行高(秩父重綱の養子となる) ┃ ┃ ┗惟親(安芸児玉氏へ) ┣兼永 ┃ ┗【富田】行綱
『武藏七黨系圖』
┏【大河原】行家 ┃ ┏行俊━━経重━╋経平 ┃ ┃ ┃ ┗重行 ┃ ┃ ┏【大浜】義助 ┃ ┃ ┃ ┏義成━╋【鳥方】義家 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗成行 ┃ ┃ ┏【秩父】行重━┳行弘━╋行綱━┻【大類】行義 ━ ━ ━ ━ ━【大類氏へ】 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣【稲島】行友 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣【武者】行成 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣【高山】行高 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗【白倉】成季 ┃ ┃ ┃ ┣【新屋】行村 ┃ ┃ ┃ ┗【片山】行時 ┃ ┃ ┏【小幡】行頼 ┃ ┃ ┗【秩父】行高━╋【大淵】高重 ┃ ┣【倉賀野】高俊 ┃ ┗【秩父】高義
『武藏七黨系圖』