ようこそ、武蔵七党の一つ児玉党一族の大類氏についてのページです。

江戸時代

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  • 『須賀文庫』控え書(高崎市、山田一氏所有)
    慶長20年(1615)の大坂合戦(大坂夏の陣)に関連して、大類氏について次のような史書がある。

    「大坂御陣之砌手柄〼届候間、江戸より御城帰に而右之五人之衆申上候而知行の儀相違有間敷候、如此先之札申渡し申候間出之候 仍如件 十月五日
     高井吉右衛門殿 大類半右衛門殿 新井忠三郎殿 須賀弥吉殿 桜沢備後殿
     石原主馬(花押)
     高力数馬(花押)
     石原七郎右衛門(花押)」

    そして五人の居住地が註として記されており、大類半右衛門は大類となっている。
  • 『徳島藩士譜』
    阿波国徳島藩士に大類氏がいた。
    • 初代 大類伊兵衛 某
       宝永5年(1708)分家御鉄砲の者より召出
       三人御扶持方御支配五石
       分家小細工方奉行 奥目付役
       元文5年(1740)7月25日没

    • 二代 大類何右衛門 義存
       享保4年(1719)10月26日召出
       元文5年(1740)9月23日相続
       召出三人御扶持方金五両
       三人御扶持方御支配五石相続
       徒士 日帖役 御台所物奉行
       明和3年(1766)7月13日没

    • 三代 大類甚之亟 義方
       宝暦2年(1752)9月23日召出
       明和3年(1766)9月相続
       三人御扶持方御支配八石
       徒士 御台所物奉行
       寛政2年(1790)1月27日没

    • 四代 大類又兵衛 義珍(初名 源之助)
       寛政2年(1790)3月23日相続
       三人御扶持方御支配八石
       徒士 江戸住
       没年不詳 文政2年(1819)7月(最終記録)

    • 五代 大類保五郎 義包
       文化12年(1815)6月23日召出
       相続年月不詳(実 佐竹壹岐守様家来 池田源兵衛邦芳弟)
       召出三人御扶持方
       三人御扶持方御支配八石
       徒士
       没年不詳 文政12年(1829)江戸住無足以下文限帖に名あり
  • 『寛政重修諸家譜』巻第千三百十二
    村上源氏流として所収されている幕臣大類氏がある。
  • 『寛政譜以降旗本家百科事典』
    「江戸切絵図」の安政4年(1857)巣鴨西丸町に大類兼吉あり。
  • 『埼玉苗字辞典』第1巻
    • 川越藩秋元氏家臣の子孫にて、『明治四年館林藩士族帳』
      「騎士・五十五俵二人扶持・大類究
      あり。或いは丹後守の後裔か。
    • 那賀郡猪俣村(美里町)
       庚申塚万延元年(1860)碑に大類周蔵
       二柱神社明治13年(1880)水鉢に大類光五郎あり。一戸存す。


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